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東京地方裁判所 平成6年(ワ)13929号 判決

東京都新宿区高田馬場三丁目二三番五号

原告

中沢怜子

右訴訟代理人弁護士

鶴見祐策

渡邉淳夫

東京都千代田区霞が関一丁目一番一号

被告

右代表者法務大臣

前田勲男

右指定代理人

小濱浩庸

鈴木一博

阿部武夫

岩崎広海

江口庸祐

横崎武義

山田昭夫

舟久保準

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成六年七月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、その勤務している会社に対する法人税法違反嫌疑事件に係る東京国税局の調査の際、担当係官から、犯罪者のように脅しつけられたり、侮辱されたりするなど社会的相当性を甚だしく逸脱する取扱いを受け、肉体的精神的な苦痛を被ったとして、国に対し慰謝料の支払いを求めた事案であり、争点は、担当係官の原告に対する言動が違法性を有するか否かである。

一  前提事実(争いがない。)

1  原告は、平成三年八月当時、ゲーム機器のリース業を営む日興電機産業株式会社(代表者代表取締役小田原定浩、以下右会社を「日興電機産業」といい、代表者を「小原田」という。)の事務員であった。

2  平成三年八月一日(以下、特に日を記さない場合は、同日を指す。)、東京国税局は、日興電機産業に対する法人税法違反の嫌疑で、数か所において、臨検、捜索、差押(以下原告宅及び後記日興電機産業の本社事務所におけるものを「本件調査」という。)を行った。

3  午前九時ころ、本件調査のため、東京国税局査察部の査察官(以下、本件調査に関与した査察官を「担当係官」という。)二名が原告宅を訪れた。原告宅には、原告及び妊娠中の長女が在宅していた。原告と担当係官との間で若干のやりとりがあったが、結局、原告宅では捜索等は行われなかった。

4  午前一一時ころ、担当係官は、原告を立会人として同道した上、午前一一時三〇分ころから、東京都新宿区所在の日興電機産業の本社事務所(以下「本社事務所」という。)の捜索等を行った。同所で、担当係官は、原告に質問をしたり、原告が本社事務所に置いていた金銭の現金監査等を行った。

5  右捜索等を行っていた午後二時二〇分ころ、原告は急に意識を失って床に倒れ込んだ。そこで、担当係官は救急車を呼んだが、原告は到着した救急車による搬送を断った。

6  午後二時四〇分ころ、本社事務所の捜索等は終了した。原告は、本社事務所でしばらく休息したのち、午後五時四五分ころ、担当係官に送られて自宅に戻った。

二  原告の主張

1  本件調査に係る嫌疑の客体は、日興電機産業であり、原告はその従業員に過ぎない。ところが、担当係官は、次のとおり、本件調査の際、原告を犯罪者と同視して、怒鳴りつけ、脅し付け、侮辱するなど、社会的相当性の範囲を甚だしく逸脱する言動により原告の人格を傷つける行為を繰り返し、原告に対し、甚大な肉体的精神的苦痛を与えた。

(一) 担当係官は、原告宅に来るや、「国税局だ。」と名乗って屋内に入り込み、出産間近のため実家に身を寄せていた原告の娘に、「これから家宅捜索をする。」と激しい剣幕で告げた。そのため、原告の娘は顔面蒼白となって倒れそうになり、奥の部屋に行って横になった。原告は娘が奥の部屋で横になったので、同所に行こうとしたが、担当係官はそれも許さなかった。また、担当係官は、原告が知り合いの弁護士を呼ぶため電話をかけようとしたところ、担当係官は「弁護士を呼んでも駄目だ。」、「裁判所の令状がある。」と言って、これを遮った。

しばらくして、担当係官は、原告宅には、捜索すべきものがないと悟ったらしく、原告に対し、本社事務所の捜索に立ち会うよう要求した。原告は、これを一旦は断ったものの、聞き入れてもらえないため、本社事務所に行くことになった。

(二) 本社事務所において、原告は、多数の担当係官に囲まれて大声で質問責めにされた。原告が「わからない。」と答えると、担当係官は「とぼけるな。」などと怒鳴った。また、小銭を見つけた担当係官がそれを机上に撒いて数え始めたので、原告が「それは私のものです。」と言うと、担当係官は、軽蔑をあらわにして、「こんなものを持って行くと思ったのか」と述べ、原告を侮辱した。さらに、本社事務所のワープロを見た担当係官は、原告に対し、「フロッピーを出せ。」と要求し、その言葉の意味が分からず反問した原告に対し、「とぼけるな。」と怒鳴り、「すわれ。」と言って原告を椅子にすわらせ、「ワープロを打て。」と激しい口調で命じた。困惑した原告が「何を打つのですか。」と聞いたところ、担当係官は、「何でもいいから打て。」と怒鳴りつけるなど、原告を犯罪者同然に扱った。原告は、このような乱暴な仕打ちは、初めての経験であったため、激しい衝撃を受け、体力気力とも限界に達し、気が遠くなってその場に倒れた。原告が意識を取り戻した後、担当係官は、何の説明もせずに書類を差し出して原告に署名するよう要求し、原告は、ペンを思うように持てなかったが左手で支えながら指定された箇所に字を書かされた。

担当係官のこのような行為は違法であって原告に対する不法行為を構成する。

2  原告は、これらの行為に激しい衝撃を受け、右のとおり、本件調査中に七分間くらい失神したが、その後今日に至るまで、何度も、神経障害により失神する後遺症に悩まされ、救急車で病院に運ばれたり、入院を余儀なくされるような状況に追い込まれた。

3  原告の右肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、金一〇〇万円を下ることはない。

三  被告の主張

本件調査のような質問、検査、臨検、捜索、差押は、その性質上、当然に、個人の住居の平穏、財産の安全やプライバシーの侵害を伴うのであるが、その調査が目的達成に必要な合理的範囲内にあるかぎり違法ではない。本件において、担当係官の行った調査は、その目的達成に必要な合理的範囲内にあり、違法ではない。また、以下に述べるように、担当係官は、原告に対し、怒鳴ったり、脅したりするなどの原告の人格を侮辱する行為はしていない。

1  原告宅において、担当係官は、原告に対し、裁判所の臨検捜索差押許可状を示して脱税事件の調査に来た旨を告げ、調査拒否の態度を示す原告を時間をかけて説得し、妊娠しているという原告の娘に不測の事態が生じないよう、結局、原告宅に立ち入ったものの捜索等は行わなかった。また、原告の弁護士への連絡を遮ったりはしていない。本社事務所に行ったのも、本社事務所における調査の立会人になってもらうため原告の同意を得たうえでのことである。

2  本社事務所において、担当係官が原告に行った質問は、給料額、勤続年数、仕事内容等に関してであって、調査の必要上相当な程度を超えておらず、原告も、特に興奮した様子もなく冷静に答えており、同所での現金等の現在高の確認にも立ち会っている。

3  ところが、本件調査中、日興電機産業の別の事務所の鍵の所在が問題となり、同社社長の小田原が本社事務所から当該事務所へ向かった直後、原告は、「鍵は私が探します。子供には内緒にしてください。」等と口走りながら急に床に倒れ込んだ。担当係官は、即座に原告を椅子に腰掛けさせ、原告が意識朦朧とした中で「薬」「薬」とつぶやくので、同人が所持していたハンドバック内の薬を飲ませ、また、救急車の出動を要請するなどの配慮を施した。程なく救急隊員が到着したが、原告は、救急車で運ばれることを拒んだ。午後二時四〇分すぎころ、原告の意識が回復しており、本社事務所の捜索等も終了したので、担当係官は、原告に対し、捜索等の立会人の署名が必要であることを説明したうえで、所定の書類に原告の署名押印を得た。さらに、右署名を得た後も、担当係官のうち二名は、原告が落ち着くまで本社事務所に待機し、原告が完全に冷静になった午後五時二五分ころ、原告を原告宅までタクシーで送った。

第三当裁判所の判断

一  前記前提事実に甲第一、第三、第四号証、乙第一ないし第三号証、第四号証の一、証人田頭良一及び同足立邦彦の各証言、原告本人尋問の結果、東京消防庁四谷消防署長に対する調査嘱託の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  原告は、日興電機産業の従業員で、昭和六三年ころから、同社に勤務している。原告は高血圧症で、血圧は上が一六〇くらいになることがあり、平成元年ころ以降、血圧降下剤を毎朝食後一回飲んでいた。なお、原告は、本件調査当日、担当係官が原告宅を訪ねた時はまだ右薬を飲んでいなかった。

日興電機産業は、ゲーム機器のリース業を行う会社で、代表取締役社長は前記小原田であり、東京都新宿区新宿一-二五-一一ライオンズマンション一〇二号に本社事務所がある。右事務所の従業員は原告一人であった。

被告の行政機関である東京国税局は、平成三年八月一日、日興電機産業に対する法人税法違反(脱税)の嫌疑により、関係数か所において、臨検、捜索、差押等を行った。

2  平成三年八月一日午前九時ころ、東京国税局査察部総括主査の田頭良一(以下「田頭」という。)と白尾査察官(以下右両名を「田頭ら」ということがある。)は、本件調査のため、原告宅を訪ねた。当時、原告宅には、原告と妊娠初期の状態であった原告の娘が在宅していた。

3  田頭らは、原告宅を訪ね、まず国税局だと名乗った。当初、原告の娘が対応したが、すぐ同人に代わり原告が対応した。田頭は、原告本人であることを確認し、日興電機産業の脱税の嫌疑により原告宅を捜索することを告げた。

4  原告は、田頭らに対し、弁護士を呼びたいと言ったが、田頭は、裁判所の令状があり、弁護士を呼んでも出入禁止処分で原告宅の中に入ってもらうわけにいかない旨を説明した。なお、田頭らが、原告が弁護士と電話で連絡することを物理的に制止したことはなく、その後、本件調査中、原告が弁護士と連絡をとろうとしたことはなかった。

5  原告の娘は、国税局の係官が捜索等に来たことも知って、「流産したら国税局は責任をとってくれるの。」などと田頭らに対して述べ、興奮状態となった。そのため、原告は、娘を玄関脇のリビングルームに寝かせるとともに、奥の部屋とリビングルームとを行き来しながら、田頭らに対し、娘のつわりがひどく、そのため実家である原告宅に帰って来ていることなどを述べ、「とにかく今日は帰ってください。」などと言った。

6  田頭らは、原告の娘の状態等を考え、流産等の不測の事態の発生を懸念して、上司と電話で連絡をとった上、原告宅での捜索等を行わないことにした。田頭は、これを原告に告げるとともに、原告に対し、本社事務所の捜索等の立会人となることを要請した。原告は、これに応じて、午前一一時ころ、田頭らと本社事務所に向かった。

7  原告と田頭らは、午前一一時三〇分ころ、本社事務所に到着した。本社事務所付近には、東京国税局の他の担当係官五名も待機していて、その中の三森総括主査が、本社事務所の臨検捜索差押許可状を原告に示し、田頭らを加えた担当係官七名による本社事務所の調査が開始された。

8  同所における調査の際、担当係官は、原告に対し、勤続年数、給料、仕事内容等の質問をした。原告は、それに冷静に答えていた。

9  担当係官の足立邦彦は、本社事務所の原告の机の中の小銭を見つけ、現金有価証券等現在高確認書を作成する前提として、これを机の上に出し、その額及び金種を確認した。その際、原告がその小銭は自分の金である旨を言ったのに対し、足立査察官は、確認するだけで持っていくことはしない旨を説明した。

10  担当係官の山口査察官は、小原田社長の机上にワープロがあったので、原告に対し、フロッピーディスクを出すよう求め、また、ワープロの前に座ってワープロを打つよう求めた。

11  本社事務所の調査中の同日午後二時すぎころ、原告は、気分が悪くなり、急に床に倒れ込んだ。原告がうわごとのように、「薬」、「薬」と言ったので、白尾査察官は、原告が所持していたハンドバック内にあった薬(血圧降下剤)を原告に飲ませた。その後、原告の目が虚ろになったため、三森総括主査は、午後二時一九分ころ、救急車の出動を要請した。午後二時二三分ころ四谷消防署の救急車が同所に到着したが、その時には、原告は気を取り戻しており、自己の意思により、救急隊員による病院への搬送を断った。

12  午後二時四〇分ころ、担当係官は、本社事務所の捜索差押等を終了するに当たり、原告の意識も回復していたので、原告に対し、臨検、捜索、差押について立会人の署名が必要であることを説明し、署名を求めた。その際、担当係官は、原告の状態を考慮して、所定の書類上の職業、生年月日欄の記入を省略し、その署名のみを求めた。原告は、手をふるえさせながらも、六枚の書類に署名した。

13  その後、本件調査が終了したため、三森総括主査ら五名の係官は同所を後にしたが、田頭らは、原告が落ち着くまで、本社事務所で待機し、午後五時二五分すぎころ、原告が平静になり、「私は大丈夫です。」と言ったので、タクシーで原告を原告宅付近まで送り届けた。

二  本件調査は、日興電機産業に対する法人税法違反の嫌疑により、国税犯則取締法二条に基づき、裁判所の臨検捜索差押許可状を得て行われたものであり、それ自体は適法なものである。本件では、その際の担当係官の言動の違法性が問題となっているのであるが、このような嫌疑事件の調査を担当する係官の言動については、調査自体がその性質上当然に個人の住居の平穏、財産権の制限、プライバシーの侵害等を伴うものであることから、その具体的な態様も、ある程度これらの権利、自由の侵害となる要素を含んでいることは否めない。したがって、問題は、担当係官の調査の際の言動等調査の具体的態様が、法が許容する、目的達成のため必要な合理的範囲内にあるかどうか、言い換えると、当該事件の内容、調査の目的に照らし、必要性、相当性(原告のいう「社会的相当性」もこの趣旨と解されるので、以下「社会的相当性」という用語を用いる。)の範囲を逸脱しているか否かにより、その違法性の有無が判断されるものと解される。また、その判断においては、対象者の嫌疑の有無(嫌疑をかけられた本人か第三者か)、程度、調査に対する姿勢(協力的か拒否的か)、言動(不審な挙動の有無)等、個別的事案により、許容される担当者の言動にもある程度の幅があると考えられるが、相手方の人格を著しく傷付けるような威嚇的、脅迫的、侮辱的な言動は、社会的相当性の範囲を著しく逸脱するものとして、違法性を帯びると解すべきである。

原告は、本件調査の際の担当係官の原告に対する言動が、原告を犯罪者と同視し、怒鳴りつけ、脅しつけ、侮辱するなど、右にいう社会的相当性の範囲を甚だしく逸脱し違法であると主張するので、以下、担当係官の行為について検討する。

1  原告宅における担当係官の言動で原告が問題としているのは、〈1〉担当係官が原告宅に赴いた際、激しい剣幕で家宅捜索をする旨を告げたこと、〈2〉原告が娘の様子を心配してそばに行こうとするのを妨げたこと、〈3〉弁護士への連絡を遮って、妨げたこと、〈4〉原告を無理に本社事務所に同道したことなどである。しかし、これらの原告主張事実は、これに沿う原告本人の供述及び陳述書(甲第一号証)の記載が存在するものの、これらの証拠は、証人田頭良一の証言(以下「田頭証言」という。)及び同人の陳述書(乙第一号証)に照らして、採用できず、他に原告主張事実を認めるに足りる証拠はなく、結局これを認めることはできない。担当係官の原告宅での言動は、一で認定したとおりであり、そこには、これを違法とすべき事実は認められず、その他、担当係官の言動に問題となる点は認められない。

2  本社事務所における担当係官の言動で原告が問題としているのは、〈1〉質問時の威嚇的、侮辱的発言、〈2〉小銭を確認した係官の侮辱的発言、〈3〉ワープロを前にした威嚇的発言であるところ、これらの点についても、原告主張事実に沿う原告本人の供述及び陳述書(甲第一号証)の記載が存在するものの、これらの証拠は、田頭証言、証人足立邦彦の証言、乙第一ないし第三号証(いずれも担当係官の陳述書)の記載に照らして、採用できず、他に原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

なお、原告は、本社事務所における本件調査中に倒れ、救急車が呼ばれているが、右のように原告が倒れた原因は、法人税法違反嫌疑事件の調査を受けるという初めての経験にショックを受け、本件調査の過程で次第に気分が悪くなっていったためと推測され、このことから、担当係官の言動が社会的相当性の範囲を逸脱していると認めることはできない。

3  最後に、原告は、本件調査全体を通じて、担当係官に威嚇的、脅迫的、侮辱的言動があり、これが社会的相当性の範囲を甚だしく逸脱して違法であると主張しているとも解されるが、本件調査の態様は一で認定したとおりであり、本件においては、担当係官に違法と評価されるような言動があったとは認めることができない。

かえって、原告宅での捜索を取り止めた状況、原告が本社事務所で倒れた後、担当係官が原告に薬を飲ませたり、救急車を呼んだり、しばらく様子を見た後に原告宅に送り届けたりするなど適切な配慮の跡もうかがわれるのであり、これらの事情に照らすと、担当係官の言動に社会的相当性の範囲を逸脱するような言動があったとは認められない。

三  以上のとおり、本件調査の際の担当係官の行為は、違法性を有するとは認められず、他に担当係官の行為が違法であることを認めるに足りる証拠はない。

よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山崎恒 裁判官 窪木稔 裁判官 柴田義明)

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